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【コラム】自分の選択で過ごすということ

”余白”の大切さ

学ぶことが楽しくなる場だけど、こどもたちが自分の選択で過ごす

”余白”の時間もつくっていきたいと考えています。

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大人が設定する学習システム(教育プログラム)は

どうしても専門に偏るキライがあって、

まだまだニュートラルであるべき幼い人々が、

のんびりとしていられる場所がほしいよね。

わかりやすく言えば「公園」のイメージね。

うん、ある程度広い方がいいね。基本はぶらぶらさ、うろちょろさ。

ときどき気になったらそこで止まって、ときどき眠くなったら物陰で寝る。

それぞれの子どものリズムとスピードで、

言ってみれば暮らしの一部として存在する安全な空間。

そこで子どもが自ら自分の質に合った学びのスタイルを見つけていく。

誰も指導しない、誰も導かない。導かれないこと、

躾けられないことを保証する、そんな空間。

それが、「名称未設定学習システム空間」さ。

「勉強しなければだいじょうぶ」五味太郎

こどもたちがやりたいことを目いっぱいやれる時間をつくる。

でもそれは、身勝手に過ごしていいということではない。

1人ひとりの「こうしたい」をぶつけながら、折り合いをつけながら、

「自分たちの場は自分たちでつくれる」という原体験を積み重ねていきたい。

1人ひとりが素の自分自身でいられて、しかもそれがゆるやかな”協同性”に

支えられているという場をつくりたい。

みんなにとって居心地のよい場をつくっていくために。

大人が、ではなく、みんなが主体となって、ものごとを決めていく。

それが”自由”な場をつくるということ。

自分で考えて判断して、自分とみんなにとってよいと思うことをする。

その積み重ねが、ほんとうの意味での「自立」につながっていくのだと思います。

「みんなの教室」岩瀬直樹

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