僕が生まれ育った家は、山を切り拓いて造成した“ニュータウン”の中の公営団地でした。 

彼らと同じ小学生の頃、学校が終わって家に帰り、ランドセルを置いてすぐ外へ。団地内にはいくつか小さな広場や遊具があり、少し足を伸ばしたらまたいくつか公園がある。どこかに行けば必ず誰か友達や幼馴染がいて、特に1,2年生の頃はあまり待ち合わせもせず、その日の気分で自由に行く場所を選択し、そこで夕方まで遊んでいました。そうそう、よく友達の家にいってファミコンやPCエンジンをしたりもしました。習い事もほとんどしていなかったので、放課後の余白は豊富にありました。 

3年生くらいになると、友達と連れ立っていろんな場所を探検するようになります。団地の裏にある山に入って木に登ったり、ヒミツキチを作ったり、砂防ダムによじ登ったり、ミニ四駆を走らせたり・・側溝や水路に入って冒険もしました。今から考えると危ないことをたくさんしていました。一方この頃の放課後は大きなグラウンドに繰り出して草野球や「手打ち野球」に明け暮れる日々でもありました。 

高学年になるとマウンテンバイクのブームが到来。広場でウィリーやジャックナイフの練習をしてはよく転んで、体中に傷やあざがありました。ぐっと行動範囲が広がり、標高200メートル超の我が家から「下山」して別の街に行ってみたり、土曜日の学校終わりには15kmくらいはなれた甲子園球場まで繰り出してみたり。そして6年生になり塾に入ってから、ぐっと遊ぶ機会は減ったように思います。 

これらのこども時代の思い出が、今の自分にどう影響しているのか、繋がっているのかは分かりません。ただ間違いなくハッキリと言えるのは、これらが僕にとっての記憶に残っている遊ぶ原風景であり、1つの黄金時代でありました。そしておそらく、自分が特別ということではなく、特に昭和後期~平成初期にこども時代を過ごした世代の多くの方は、似たような景色をお持ちなのではと推測します。 

小学生のある限られた時期に存在する「自由な余白」の時間。時代や社会の状況は変わっても、こどもたちの持つ本質は同じです。まなび舎ボートという場所で「遊ぶ」に没頭した日々が、こどもたちにとっての原風景の1つになればと願っています。

 

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